ADHDの正と負の側面!ADHDの正の部分が人生にいきるか考えてみた

おれはもうおなかすいた(@ADHD、薬剤師

 

ちょっと仕事が詰まっていてなかなか更新ができません。。

クソー、ありがたいことだがこの仕事量の調節が難しいところ。

 

最近は天下一品にハマり気味。一回、ハマるとしばらくハマって食べ続けるのがやっぱADHDらしさなのでしょう。

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こってり感がいいよね!

 

さて、このブログも始めた当初は全然更新できておらず……というのもこうやってブログ書いててなんか意味あるのかな?と思ったり、やっぱよっぽど書くことが大好き!とかじゃないとモチベーション的に続かないわけです。

 

前も書いたけど読者さんの一人がコメントをくれたことが更新が継続できるようになったきっかけ。この自分のブログも誰かの役に立ってるんだなぁと実感できたから、続けられている。

 

最近ではツイッターでもコメントをもらえたりと、とても皆さんからモチベーションをもらっている。本当にありがとうございます!!

 

単純な人間なので、本当にちょっとしたコメントでも、いただけるだけですごく嬉しいです。あぁ同じような悩みを抱えてる人って、実生活では会わないけど、実際にいるんだなぁと思うんですよね。

 

さて、コメントもらったときにADHDの正と負の側面の話題をいただいたので、今回はぼくが持っているADHDの正を人生視点で考えてみたいと思います。

 

今回は3500文字くらいなんでちょっと長いよー!

 

【目次】

 

ADHDの正の側面:持ち前の無鉄砲さ

ぼくのご幼少の頃の話はもう散々しているので、ここでは割愛。

やっぱご幼少の頃が一番ADHDのパワーを発揮できていたようにも思うけど、それは年齢に限定されない。

 

思い起こせば、サラリーマンになったり年齢を重ねたりで人前に出る機会が増える。

 

例えば、結婚式でいきなりモノマネを振られたりとか。

 

まぁそれに限らず、とっさに何か振られたりすると多くの人は躊躇する。

 

でもぼくは躊躇しない。自分の中にギアみたいな見えないものがあって、そのスロットをいくしかない!という気合で外してしまえば、他人が引くくらいのことができる。

 

この「引くくらいの」というのがポイントで、正確には止めどきがわからずに突っ走ってしまうのだ。

 

具体的にはあまり知り合いのいない結婚式の二次会で、モノマネを振られたときにもういいであろうタイミングがきてもぼくはやめなかった。

 

これはパートナーに言われて気づいたんだけど、言われなければ自分では気づけなかった。なぜならモノマネをやってるぼくはギアが外れてしまっているので、むしろ楽しんでくれよ!最高だろ!くらいの気持ち。

 

もう一つ、サラリーマン時代に年に一度、全社員が集まって部署ごとの今年の目標を発表する大会みたいなのがあった。

 

だいたい400、500人くらいの中小企業だったんだけど、それでも全社員の前に出るというときはやはり緊張はする。

 

で、ぼくの部署の部長がなかなかクレイジーな人で、これからうちの部署の今年の目標をラップで披露しますと言い出したのだ。

 

で、当然のようにぼくに振られた。

 

でも思った。これはやってもやらなくてもしらけるなと。だったらやってみよう!ぼくは即座にそう思った。

 

普段はどちらかというと恥ずかしがりやなんだけど、こういう決断をしたときの自分は本当に頭がおかしい。

 

ADHDの二面性の話を前にもしたけど、そんな感じで違う自分が憑依するみたいな感覚。

 

やってみようと思った次の瞬間、もうすでにマイクロフォンを握りしめ、ライトが眩しいステージの上に立っていた。

 

で、健康系の部署だから内容的に全然ラップにふさわしくないんだけどw

 

「近未来の健康ステーション、それが我らウェルネスステーション」

 

みたいに即興でやったわりに最後ちゃんと韻を踏んでうまくまとまった!おれ、すげーぞ!と思って目の前をみたとき……

 

当然、企業の大会だから最前列には役員だの幹部だののお偉いさんたちがこぞって座ってるわけで、後はもうお察しのとおり。

 

スタンディングオベーションどころか、最前列一同がものすごい形相でぼくの方を見つめていたわけです。

 

一人だけ、人事部のぼくによくしてくれていたマネージャーが笑っていたのだけ鮮明に覚えています。

 

そこで、あっ!あの人が笑ってたからよかった!と結果的に思ったけど、ウケるとかウケないとか関係ない。

 

こういうことが平気でできる無鉄砲さってADHDの正の側面だと自分では思っている。やっぱりこういう無鉄砲さはハートの強さとして今でもいきているように思うんだよね。

 

 

みんなが右に行けば左にいく精神で個を磨く

「ひねくれている」

 

といえばそれまでなんだけど、ぼくは集団行動が苦手だ。

 

大人の今だからこそ、少しは集団のルールを意識したりはする。でもやっぱみんなと同じことをしているのは気持ちが悪い。

 

大学を出て進路を決める際も、周りが医療関連の業界に絞っていることに違和感しか感じなかった。

 

ぼくはとりわけどうしたいかもなかったんだけど、とりあえずみんなと違うことをしたいと思った。それで毎日、大学が終わったら速攻で家に帰り、早い日は16:30〜0:00までテレビをみる生活をしていたため、閃いた。

 

あ、ぼくよりテレビみてる人っていないんじゃないの?と。

 

当時はこの番組で喋ったことをこっちでも使ってるよ!とか髪型ちょっと変えたな!とかすごい細かいところまでわかるくらいテレビに没頭していた。

 

おい!大学生だろ!といいたくなるが、ぼくは大学に馴染めなかったのだ。だから用がなければまっすぐ帰宅してテレビにかじりつく4年間。

 

アホすぎる。

 

でもそれがきっかけで、NHK以外のキー局は全部受けた。エントリーシートで切られたとこもたくさんあるけどw

 

一般の人は入れないフジテレビの球体の中に潜入できたのはすごくいい思い出。

 

あとはオシャレには昔から興味があって、美に関心があったのとなんかカッコイイといういわゆるキラキラ就職目的で美容関連の会社を受けまくったりした。

 

このときも卒論の教授には時間を融通してもらえるよう交渉したりして、すごい面倒な目でみられたのを覚えている。

 

そもそも卒論のテーマを、関心があったUMAチュパカブラにすると言ったら、薬学部って何かわかってんの?みたいなことを言われはじき返されたところで、自分はもう卒論はいいや!と思ってしまった。

 

そこで周りが卒論やら卒業研究にいそしむ中、ぼくは一般企業を受けまくるという文系の大学生よろしく、文系に混じりエントリーシートで悩む日々を送った。

 

でも自分でこうするんだと決めたことは周りにどう見られても構わないのがぼく。没個性が叫ばれる中で、ADHDの正の側面は個性が強いことじゃないかなと思う。

 

 

空気を読む・協調性は意識すればいいんじゃないか?と自分は思う

そうすると空気を読んだり、協調性が求められる日本社会の中では生きにくいじゃないか!と思うだろう。

 

実際、生きにくい。

 

でもこの空気を読むとか協調性って後天的に身につくと思うんだよね。後天的にって30歳を過ぎてからとかそういうレベルでねw

 

ぼく自身もまったく空気が読めなかったけど、少しずつここではこう言わない方がいいのかな……という空気を読むことはできるようになっている。

 

協調性の部分もこれは人間性が根底にあると思うし、ADHDの人は協調性がないってよりは協調性があってもあえて外してたりするんじゃないかなー。

 

ぼくなんかも協力すべき仕事では、ちゃんと協調するし自分の意見を突き通すようなことはしない。

 

でもみんなが帰る空気じゃないから自分も帰らないとか、なんとなく周りがこうしてるから自分も協調するとかは一切ない。

 

協調性がないから協調できないんじゃなくて、協調性があっても必要に応じてって感じかな。だからこの辺は意識できればOKと思う。

 

 

ADHDの正の側面は彩り豊かな人生を与えてくれる

こうやって考えるとADHDの正の側面は彩り豊かな人生を与えてくれる。

 

ぼくはきっと薬剤師にならなかったら美容師になっていたと思うけど、薬剤師になったことを後悔もしてないし、でも薬剤師であろうとも思っていない。

 

柔軟な発想ができるのもADHDの正の側面なのかなぁ。

 

ぼくは個人的にADHDの正の側面は生きていく上で、人生に彩を与えてくれると思う。もちろん試練も与えてくれるんだけど、人と違うようにぶつかることで新たな発見もあるし、なんでも前向きに考えるとADHDの正は魅力的だと思う。

 

ぼくはADHDの薬剤師として自分色を出していきたいなと思っている。

 

おれはもうねむい。

 

 

 

 

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