ぼくの不登校はADHDの要素。学校は行かなくても努力はすること

おれはもうおなかすいた(@ADHD、薬剤師

 

このまえフェンティマンズのジンジャービアーの方が……

 

なんて話をして、さっそく買ってしまった。

 

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でも飲んで思った。

確かにおいしいんだけど、やっぱ意外とコーラもうまいかも!と……

 

どっちやねん!と。

 

「フェンティマンズ」ためしに飲んでみてね。

 

日本にはない味わい。

 

 

さて、先日こんなツイートをしたら、意外と反響があった。

 

 

 

 

せっかくなので、今日はこのツイートにまつわるお話とADHD要素を保護者、そして検索からたまたま訪れてくれた学校に行きたくない方々にお伝えしたい。

 

ぼくの場合、この時代は特にADHDパワーをフルパワーで発揮していた。

 

ADHDのお子さんを持つ保護者の方々はきっと子育てが大変だと思う。ぼくの母も、あなたは二度と育てたくない!と言っていた。それくらいADHDの子供と向き合うことは大変なのだ。

 

【目次】

 

 

グレてるわけでも不登校なわけでもなく、自主的な不登校

まず大前提だけど、学校に行かないことを推奨するわけではなく、こんな例もあるんだなという視点でみてもらえればと。

 

まずは親御さんに理解してもらいたいことを書いてみよう。

 

 

ぼくが朝から学校に行かなくなったのは中学生の途中から。

 

この頃はただ単に朝起きられなかったのと、8:15から始まる「ちゅらさん」が観たかったという甘ったれた理由だ。

 

これが習慣化していき、だんだん遅刻するようになっていった。

 

でも遅刻するようになって、思った。

 

「なんでそもそもみんな同じ時間にそろって座っていなきゃいけないんだ?」

「校則?いらんだろ、そんなもん!」

 

何かこう縛られているような窮屈さを感じて、ぼくは「校則」というものに違和感を感じ出す。

 

そしてこの違和感から校則がない高校に行きたいと思うようになり、たまたま校則がない高校をみつける。この辺が真面目!校則にこだわりを持って、「校則がない」という部分をちゃんと探すという。

 

で、校則がない高校に進学したはいいんだけど、やっぱり朝は起きられない。

 

そしてついに、

 

「そもそもなんでみんなと学校に行かなきゃいけないんだ?」

 

と思うようになる。

 

高校1年生から、さっそくぼくは学校に行かなくなった。高校3年生の頃は123日欠席、今でもキリがいい数字だったので覚えているんだけど……でもね、グレてたわけでも不登校だったわけでもない。完全に自主的な不登校

 

途中、みんなと同じことをしてるのが嫌になって、週に1日は全部自習にするよと担任に報告したこともあった。

 

自習ということで、学校に行ったとしても授業は何も出なくていいというマイルール。最終的に毎日自習になったのだけども。

 

担任も放任というか面倒で相手にする気もなかったのか、二つ返事で認めてくれた。

 

国語も高校1年生でやめた。そう、やめたのだ。

 

出るのをやめたんじゃなくて、国語というものが自分にはいらないから単位だけくれとお願いして、国語という教科ごとやめた。国語という教科はその後、自習という教科にぼくの場合はなった。

 

当時は融通がきいたからこういうことができたのかもしれない。

 

こんなことをしてる生徒は他にいなかった。それでもぼくはみんなと同じことをしてるのが嫌でしょうがなかったから、自由にできて満足していた。

 

この頃の尖った自我は特にADHDの現れのような気がする。

 

親はイマイチ理解できなかったようだけど、何を言っても言うこときかない僕に対して母は泣き、父は諦めていた。

 

ADHDの思春期は最強の厄介な性質を発揮するように思う。だけど、ここで大事なことは親は諦めてはいけないということ。

 

ぼくは朝から学校に行くことはまずなかったけど、それでも母が毎日お弁当を作ってくれてたことを覚えている。当時はなんとも思わなかったけど、やっぱりこういう背中って印象に残るんだと思う。

 

大人になってからどういう人間になるか。この部分に影響してくる要素な気がする。自分で言うのも変だけど、今はまっすぐな人間に育っている。

 

もし、お子さんがぼくが子供だった時のように、理解しがたい行動をとってもADHDの特性の一つなのかも?と受け入れてあげて欲しい。

 

その前にADHDなのかも?と今であれば思ってあげて欲しい。ADHDも2017年の今日ではだいぶメジャーになってきた。お子さんがADHDかも?と思ったら、臨床心理士のいる病院に行くといい。

 

 

adhd.co.jp

 

 

これは成人ってあるけれど、別に子供だって問題ない。

 

 

ADHDの思春期のお子さんを持つ親は通常の子育て以上に大変だと思う。反抗期とADHD要素がフルパワーで花開くから。

 

と、ぼくは思ってたんだけど、今の子供は反抗期がないらしい。実際に今どきの子は反抗期なんてないよ〜!って職場のおばちゃんも言う。

 

中3の息子がいるんだけど、息子もお友達も反抗期のような姿はまったくないそうだ。このおばちゃん、昼から飲んだりしょっちゅう飲み歩いてるし、飲みに行くと飲んでる時間も長い。平気で朝まで飲んでいる。

 

自分が息子だったら、グレるなーって思うんだけど、明日は息子と動物園行くんだ♪なんて言ってる。時代も変わったものだ。

 

 

話を戻すけど、そうなると自分の子供がADHD要素全開で反抗期よろしく、日常を過ごしていたら、余計に心配になるだろう。

 

でも周りと比べて自分の子供はなんで……とならずに、ADHDゆえのありあまるパワーを発揮してるんだなと捉えてもらえたら、子供は心救われるような気がする。

 

 

学校はただの箱であり、箱の外にはたくさんの道がある

さて、学校に行きたくない!という君が回り回ってこのブログに到達してくれているかもしれないから、その目線でも書いてみよう。

 

ぼくは学校に行かない代わりに、電車で旅をしてみたり、他の学校を見学しに行ってみたり、バイクでどこまで行けるか挑戦したり、湖で釣りをしたりしていた。

 

あとやっぱりADHDの性質なのかわからないけど、とにかく朝眠たくて仕方なくて午前中は図書館とか田舎のあぜ道で寝ていた。

 

正直、学校に行かずにした経験で今役に立っていることはない。

 

でも123日欠席しても大学に行けた経験や周りの人と違う道を歩んできた経験は、自分自身の自信になっている。

 

学校という箱から一歩外に出てみると、たくさんの道がある。

  

大検だってあるし、働いてから学校行きたくなったら行けるし… 回り道って無駄なようだけど、人と違うストーリーは個性になるよ。

 

学校という箱から一度出ると、たくさんの道がそこにはある。


今、学校に行きたくないなら行かなくていいと思う。

 

不安もあるかもしれないけど、みんなと同じように学校に行かなくたって、みんなが行く大学にはちゃんと行ける。ちゃんと「がんばる」 という経験をすれば。

 

 

学校が嫌なら行かなくてもいい。でもがんばる経験は大切

ぼくは浪人したんだけど、浪人が決まった4月の時点では、

 

●偏差値

英語 :60

数学:30

化学:30

 

こんな感じだった。英語は好きだったからできた。英語に関しては勉強するのも苦じゃなかったかな。そこはアドバンテージだったかもしれない。

 

で、残りの数学と化学は1年間の浪人生活でものすごくがんばった。

 

友達は作らないと決め、一日中勉強することにした……

 

今考えるともうちょっとやり方あったよな…って思うんだけど。。でもこの1年でやりきったといえるくらい努力をした。

 

この「がんばった」、「努力した」という経験がとても大切だと思っている。

 

自分レベルでいい。他人と比べたらこんな頑張り…なんて思う必要はない。自分レベルでがんばったという経験が大切なんだ。

 

社会に出て思う。

 

この人、がんばった経験ないんじゃないか?って感じる人はやっぱり甘い。パートナーの前職の後輩たちは断りもなく、突然出勤しなくなり辞めるということをしていた。

 

こういう無責任さは、人生のどこかでがんばる経験をしている人にはないはず。

 

勉強、スポーツ、バイト…ものはなんでもいいんだ。

 

なんでもいいからがんばる経験は大事!学校は行かなくても早い段階でがんばる経験は積んでおこう。

 

ぼくは学歴が…って話は好きじゃない。でも受験は誰しもが平等に与えられた、努力する機会だとは思う。だから受験勉強をがんばることは大事。サイン、コサイン、タンジェントなんてどうでもよくて本質はそこじゃない。

 

目標に向かって努力するということ自体が大切だと思うんだ。

 

さて今週のブログは長くなってしまって、結局更新がだいぶ遅れてしまった……

世間は27時間テレビ

 

そういえばビートたけしもつい最近、ハーフタレントの件でこう言ってた。

 

「笑いが取れても、ただのバカはダメ」

 

これは端的にいろんなことをギュッと詰めて語っていると思う。

 

断りなく、嫌だから会社に来なくなるのはただのバカだし、自分さえよければいいというのもただのバカ。

 

ただのバカにならないために努力をすること、学ぶことはやっぱり大切。

 

おれはもうねむい。