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感覚の違い

多数の人間が働く組織の中に属していると、価値観の違いを認識することがある。

 

 

そして、僕自身は価値観の違いだけではなくズレというか、いわゆる一般的にはと言われる部分から大きくはみ出していることが多いことに気付く。

 

 

ADHDの人は行間を読むことが苦手で相手が何を望んでいるのかを認識するのに時間がかかると言われている。

 

僕も実際、ずっと昔から行間を読むのが苦手だし、言わなくていい一言を口走ってしまったりする。

 

日本人特有の奥ゆかしさだとか、言わなくても感じろ!という文化が僕は苦手だ。

 

 

言わなきゃわかんないだろ!言え!と思ってしまうし、自分なりの解釈で説明を初めると聞き手の期待していたことと大きなギャップが生じる(それはわかってるよ......ということまで説明してしまう)ことがある。

 

 

日本語って難しい。。

 

 

日本語スキルは一生をかけて磨いていくものなのかもしれない。

 

感覚の違いは性格の違いでもあるのだが、一般的な人との特性の違いでもあるのかもしれない。

 

 

性格が違うから適当さとか真面目さとか気になる部分とかは人それぞれ違う。

 

 

 

先日、同僚に僕は一人だけ感覚が違っておかしいと指摘された。

 

 

悪い風に言われたわけではなく、困ったなぁという感じで笑ってくれた(実際、人様に手渡すものだからよろしくはなかった)

 

 

感覚の違いや性格の違いは感じても、一般的にはこうだよねという感覚というか境界が僕にはイマイチわからない。

 

 

だから例えば何かを作るとなったら、一般的にはこうだという感覚がわからないから、バカ丁寧なものを作るか自己流のものを作るかの二択だ。

 

 

中間でバランスをみて......という選択肢がない。

 

あぁ......こういう一般的にはこうでしょう?という感覚を問われるのって自分は苦手なんだなぁと認識した。

 

 

同僚にはADHDの話はしてないが、ADHDの人は世間一般からみたら不思議ちゃんチックに映るのかもしれない。

 

 

独特の世界観がある......そういう見方をすればそれはマイナスではなくプラスの個性である。

 

 

僕の個性は僕にしかない世界観があること。世間一般と照らし合わせ最適解を出すのではなく、独自の判断で独自の創造解を出せることが強みだ。

 

 

この強みはクリエイティブな社会に活きるんじゃないかなぁとボンヤリ思った。逆にキッチリしなければいけない場にはふさわしくない。

 

 

僕の場合、施設によって薬袋のマーカーを変えたり、文字を変えたりしなければいけないのだが、こういった決められた枠の中で何かをすることが大変窮屈なのだ。

 

 

実際、先方にはこうでいいよね?と自分のいいように作り変えて報告したりしているが、これでいいよというところもあれば何でそんなことするんだ!と怒るところもある。

 

 

今の僕は大人なので、すみませんでしたとだけ謝る。

 

 

でもこのときにふと思った......

 

 

これで衝突したのが、学校という枠の中で生活しなければならなかった頃の自分なのかもしれない。

 

 

学校という決められた枠の中で生活しなければいけないことが何よりも僕には窮屈だった。

 

 

1日中テレビを見て生活することはできるのに、決められた枠の中で自分の創造ではなく強制を強いられることに異様な抵抗を感じるのだ。

 

 

過去の自分には到底こんなことわからないだろう。

 

 

でもADHDというものを認識して生活していると、ある日点と点が線になる瞬間がある。

 

 

生きることは点と点がつながることなのかもしれない。

 

 

人により認識するものは違うのかもしれないけれど、そのときわからなかったことは後からわかったりするものだ。

 

 

感覚の違いの指摘を通して、個性を認識できたことで自分の歴史が線でつながったように思う。

 

 

 

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