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無関心

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2015年ももう終わり。

あっという間だった~と思う一年をここ数年は過ごしている。

小学生の頃は一年がすごい長かったのに......小学生の頃よりむしろ感動や驚きは今の方があるのに......

なぜ歳を重ねると時の流れが早く感じるのでしょうか?

小さい頃、僕はまず電車にハマった。そして、鳥、虫にハマった。

 

でもこれは小さい頃で、思春期に何にハマったか?とか、興味は?と聞かれても特にない。

あまりに物事に対して無関心だったことを記憶している。

やりたいことがないのである

これもADHDの特性なのだろうか?あれもこれもと興味の対象が目移りすることがあったり、いろんなことに手をつけてしまうことがある一方で......

自分の中に興味関心というカテゴリーが全くなかった。

無気力で無関心な少年はそのまま高校を卒業した。

大学生になっても無気力で無関心な少年はそこにいる。

自分がこれをしたい!というものが全くないのだ。

「やりたいことを見つけなさい」とか「やりたいことがなきゃいけない」ような風潮は僕は好きではない。

でもやりたいことがないのなら、なおさら様々なことに取り組んでみようとする意欲は大切だ。

僕にはこれがなかった。

無気力で無関心という言葉がピッタリだった。

自分から何かしようとも思わない。人から与えられてもしようと思わない。

横になってテレビを見ているだけで満足なのだ。

大学4年間も毎日ほぼテレビを見て1日が終わる生活を過ごした。

 不思議とそれが退屈ではないのだから、やはり特性なのもしれない。

 

しかし、出会うパートナーによりこの特性は変わるのかなと今は思う。

自分から何かするというのは相変わらず苦手だったり、どうしていいかわからないのだけれど、与えてくれて体験させてくれる......自然に触れたり、感動に触れることを繰り返させてくれることで、自分の中の詰まりがとれたように思う。

あれをしてみようかな?これをしてみようかな?......ここに出かけるなんて楽しみ!これをしたいな!......

昔はこんな感情がなかった。

面倒くさいで片付け、無関心だった自分は今はもう過去である。

パートナーが何よりの心理療法なのかもしれないと、「無関心」だった頃の自分を思うと感じる。

ADHDの特性は単純ではないと言うけれど、言葉で全てを説明するのは困難なくらいやはり単純ではないのだと思う。

子供がこんな特性で困っている......と思っても成長につれその特性は完全ではなくても過去のものになったり、パートナーと出会うことで変わったりすると僕は思っている。

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