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俺は小学校5.6年生

相変わらず寒いです!みなさんはいかがお過ごしでしょうか?私は元気です!

さてADHDの傾向が強まった疑いが最もみられるのが小学校高学年です。

学校では担任の先生が5年生になるときに変わりました。この2年間は自分にとっては辛い思い出です。でも今となってはイイ思い出です。

どんな辛いことも後から見たら、イイ思い出に変わるものです。その当時はなかなかそうは思えないけど……
ではさっそく行動から見ていきましょう!


⚫︎手イタズラ

相変わらず手イタズラはよくやっていた。小学校高学年ともなると、スキルアップし、僕は机を彫刻刀で彫っていた。そこに修正液を流し込む!というやることは変わらない。


⚫︎手イタズラ2

小学校高学年はもうお兄さんだ。鉛筆じゃなくてシャーペンを使う。そのシャーペンを途中でぶった切って小さくする。ミニシャーペン作製という手イタズラもよくやっていた。


⚫︎趣味

そして銅線でゴキブリもどきのような人形を作っては一人でニヤニヤしていた。まるで変態である。

さらに銅線で図工室の合鍵を作ろうとした。別に図工は好きではなかったが、鍵を鍵を使わないであけることに興味があった。図工室の鍵は簡単な作りだったのか、すぐに合鍵を作れたことを記憶している。
⚫︎授業中

僕は点を取るお勉強が得意だった。塾に行って先取りしていたからにすぎないのだが、当時は自分を過大評価していた。

しかし、5年生になった途端、勉強ができなくなってしまった。テストはできるのだが、普段の勉強ができない。

そう!授業中に先生に指されても答えられない。質問の意味がわからない。ないないない!である。

この5年生から2年間の担任の先生は変わっていた。

一般的に授業は答えのあることをするし、テストも答えがあることをする。塾なんて答えのあることをやり方を教えて叩き込む場のようなものだ。
しかし、この担任の先生の授業は違った。
今でもいくつかは明確に覚えている。

『ごんぎつね』というお話をテーマにとりあえげ、ひたすらそれを深掘りする。クエが出てくるお話をひたすら深掘りする。ディベートをやる…挙げればキリがない。

そしてこれらが僕には全くできないし、理解不能だった。

当時思っていたことは今でも覚えている。
こんなこと中学生になったら必要ない。テストができればイイじゃないか。
幼き少年はそう思っていた。

しかし社会に出て思う。この頃の担任の先生が行っていた授業こそ教育なのだと。組織という秩序の中で、従うだけではなく意味のあるものを創り出そうとしていた。社会と教育を繋げようとしていたのかもしれない。

先生は問う。

あの時のおじいさんは何を考えていたのか?なぜごんぎつねは撃たれたのか?本当にごんぎつねは撃たれたのか?おばあさんはどこにいたのか?……
とにかく僕を指名して質問攻めにされたのを覚えている。そして何も答えられなかったことも。
僕に対して、本当の勉強とは何かを教えてくれようとしていたのかもしれない。はたまたできると思って調子にのるな、社会で生きていくのに本当に必要なことはそれじゃない調子にのるなと教えたかったのかもしれない。
でも僕は違う方向に行ってしまった。こんなの中学生になったら必要ないぜと。

これはおじいちゃんの影響が大きいように思う。それはまた別の機会で。
幼き少年は先生にいじめられていると思っていた。とにかく当時はこの先生が嫌いだった。
なんで俺ばかり指名するのか!いじめじゃないか!  
そう思っていた。
授業中には深掘りするためのプリントが配られた。そしてその日のうちに終わらないものは次回までの宿題になった。

そして次回の授業からは宿題の内容を掘り下げるということをしていた。

僕は宿題になる度に、次の授業の前までに朝早く学校に忍び込んで、他人の机から授業プリントを引き出し写していた......

違法行為である。

でもわからないし、何も答えられない考えられない自分にはそれをするしかなかった。

とにかく先生はそれでも僕を指名し続けるのをやめなかった。もしかしたら、答えてたときもこの他人のプリントを写してたから答えたということをわかっていたのかもしれない。
小学校卒業から数えると約18年の年月が過ぎるが、お陰でこの先生のことは今でも声も顔もハッキリ覚えている。
答えのないものに対して答えることができないというのは、答えを探しているから臆病になっているとか考える習慣がないからのように思う。

しかし、こういった出来事の詳細を鮮明に覚えているのはADHDの特性なのだろうか?

授業中のお話が長くなったので今日はこのへんで!