久しぶりに中身はないですがまずは更新!

あっという間にもう12月。師走だ。

 

ゆるりゆるりと更新しているブログもちょっとサボってしまうとそのままフェードアウトになりがち。

 

それはいかん!今までも何個もブログやらアメーバオウンドやらの「無料アカウント」と名がつく面々は試してきた。

 

でも。。。。。。

 

 

続かない!!!!

 

なんでかな?ADHD特有の能力なのか、いろいろと興味があって始めるまではいいものの飽きてしまったり、面倒になってしまったり、体裁を整えて満足してしまったりでとにかく続かない。

 

その反面、のめり込むとしつこくずっとやってしまう。

前もこのブログに書いたかもしれないが…

 

・釣りをしていて根掛かりをしました

・根掛かりが外れません

・1時間経ってもどうにもこうにも外れません

 

このような状況のときどうしますか?

 

はい!僕は1日中、根掛かりを外しています。。。

 

これはADHDの特性なのでしょうか。

 

基本的には何をやっても途中で飽きちゃいますね。でもたまに変なところで驚異的に執拗に「粘り強さ」を発揮します。

 

この粘り強さを発揮しているときは、頭の中がモヤモヤするというか、頭ここにあらず!みたいな状態にはなってないんですよね。

 

もうキーーーンとクリア!というかハマっている感じで、無我夢中。ブログも書き出せばそのときは無我夢中になるんだけど、お仕事が溜まっているとそこに到達するのが大変。

 

PC開けばネットサーフィンからのネットサーフィン。こう切り替えがうまくできないのも僕はあります。現役よりも浪人、試験よりも追試で生きてきたので、こう負けてからが勝負でしょ的なとこがあるのかもしれません。

 

ちょっと中身のないブログになってしまいましたが、久しぶりに更新するのが今日の目的なんで、よしとしよう!

 

これくらいのボリュームならテーマがあれば書けるはずだ。12月も残りわずか。来年からは……なんて言いません。

 

明日からもゆる〜く更新していきます。

 

 

 

 

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ADHDなおれは共感する記事を見つけた

少し前の話だが、ネットニュースにADHDについて出ていた。

 

ADHDは前よりもメジャーになっているとはいえ、医療従事者でも知らない人は知らない。そんなADHDがついにYAHOOのトップページを飾る時代がきた。

 

それがこちら……

 

kenko100.jp

 

 

イーライリリー主催のトークセッションだったみたいだが、勝間さんや書道家の武田さんがADHDエピソードを語ったらしい。この二人は診断はされていないが、ADHDの要素が非常に強く、自身でADHDと認めているそうだ。

 

 

記事を読むと確かにADHD要素が強く、共感が持てる。そしてこういう場でADHDと言えているところがすごいなと思う。

 

やはり、日本人は偏見だとか周りの目とか様々なことを気にする。ADHD発達障害という名前のせいもあって、公表するにはかなり勇気がいるんじゃないかなぁと思う。公表することで、周りからどう思われるのか?とか家族はどう思うんだろうとか……そこには各自様々な思いがあると思う。

 

 

僕自身は必要性がなければ特に言う必要はないと思っているので、特に公表はしていない。そもそも一般人だしね。でもこういう著名人がADHDなどを公表してくれると、心の中で”おぉぉぉぉぉ!!!”という拍手が起こる。

 

 

正しい認知やマイナスイメージの払拭のためにこういう方々の力はとても強いと思う。どうしても日本においては言葉上、マイナスなイメージを持たれることは少なくないと思う。だからこそ著名人の力添えがあると興奮の拍手が巻き起こる。

 

 

記事の中で2人の対処法が違うのもまた面白い。苦手なことを避ける派と苦手なこともアプローチを変え取り組む派。どっちが正解というものではないから、こういう人がいるんだ!と実感できることにとても共感を覚える。

 

 

記事の後半では”えじそんくらぶ”というNPO法人の代表の方がお話しているが、この方は薬剤師だそうだ。そこにもまた共感してしまう。

 

えじそんくらぶはAD/HDを持つ人たち、そして共に悩む家族・教師を応援します - NPO法人えじそんくらぶ

 

 

この代表の方はADHDと診断されたことで前向きになったと言っている。これは僕もそうだ。ADHDと言われるまでは自分がなんか変なんじゃないかと思っていたし、物忘れのひどさに関しては、若年性の認知症を疑っていた。診断されることで肩の荷がだいぶ降りたというのが正直なところだ。

 

 

また記事の中では周囲の理解者の存在の大切さについて書かれている。

これに関しては確かにおっしゃるとおり。理解してもらうことは大切だと思う。でも、職場に限って言えば、ミスをカバーする愛嬌やキャラクター、他のことでの努力で周囲を味方にすることはできると思う。

 

どうしても職場に理解者が必要というわけではなく、職場に味方を作る感じかな。

同じことをやっても怒られる人と怒られない人がいるように、キャラクターというものは必ずある。ならば愛されるキャラクターを目指したいものだ。

 

 

ミスをどうしても減らせないのなら、その他のところで他の人よりも努力しなければならない。自分が一番気をつけているのはここ。

 

 

ミスしても許される愛される人間になる

 

 

これが目標であり、環境が変わるたびに試される部分でもある。

これはかなり環境にも左右されるので、ここだ!という環境を見つけられたら、そこがベストなんじゃないかなぁと思う。

 

周囲に協力してもらう前に、周囲に協力してもらえるような人間性と周囲への気配りを忘れないようにしたい。

 

ちなみにこの記事、ケアネットという無料登録が必要な医療サイトでも掲載されている。ライターさんが違うので、またちょっと違う切り口で展開されている。

 

無料なのでこちらも読んでもいいかもしれない。

 

www.carenet.com

 

 

 

 

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ADHDの人がブログを続けるということ

ブログ再開から数日

 

再開したきっかけは前のブログにコメントをいただけたことだ。

同じような思いをしている誰かの役に立てれば……

と初めてみたものの、SEOなどをしっかり考えなければ検索上位には引っかからないし、そうなるとなかなか人目にすらつかない。

 

ブログが大好き!とか書くのが習慣化していて書かないと気持ち悪い!というわけでもなければ、やはりどうしても続かない。

 

僕自身、とても飽きっぽい特性もある。

これは性格なのかな?

 

ADHDの特性なのか性格なのかイマイチ判断がつかないことが多いので、このようなことを書きたい場合は、今後「特徴」って書こうかな。

これは特性なんだ!ってそもそも自分じゃわかんないしね。それが日常だから。

 

で、飽きっぽいという話に戻しますが、とにかく飽きっぽい。何かを始めてみても基本的には続かない。すぐに違うことが気になってしまう。

あるいっときはイイ!と思って熱中してもすぐに冷めてしまうのだ。

 

ブログもアカウントを何個持っていることかわからないw

とにかく新しいことをやってみることが好きでいろいろ試してみる。でもそこから継続につながることはあまりない。

 

ADHDは諦めない強さも発揮する

その一方で始めたら最後まで何があっても諦めない強さも発揮する。

たとえば釣りで根がかりしたときに、周りはすぐに諦めて切ってしまう。でも僕はこの根がかりに関しては何がなんでもとってやろうと思うので、どうしても帰らなきゃだったり人に呆れられたりせず、一人なら一日中かけてでも根がかり外しを行っていると思う。

 

スポーツでは水泳とダンスが僕の中ではハマった。

当時、フライングが2回までOKだったのにそれが1回までで失格になったのと同時に水泳は辞めてしまったが……とにかくフライングは必ずしちゃう子だったんだよねw

子供の頃は泳ぎ方を本で研究してそれを実際に試して、ダメなら違う方法を探して……と当時ネットがそんなに発達してなかったので、昭和よろしくスタイルで研究に没頭していた。お陰で大会新記録取れたんだよね。

 

ダンスは25歳のときに再開してヘルニアを発症するまで本気で取り組んだ。仕事なんてそっちのけでとにかくダンスを一生懸命やって、疲れたら次の日の仕事を休むようなスタイルでハマっていた。

運動系は何をやっても続かなかったけど、この二つは本当に没頭した。

 

これくらいブログも没頭できるといいなと思うけど、どうなんでしょう。ADHDの人にとって、ブログはハマればすごい向いたものなんだろうなと思う。

 

自分でいうのもアレだけど、ADHDの集中したときのパワーはすごいからね。

 

でもこんなブログでも誰かの役に立つんだと実感したので、今度は続けることができるな。仕事を兼業でやっているので、その兼ね合いもあるけれどゆったりマイペースに更新していけたらと思ってる。

 

 

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ブログ再開!!!

集まれADHD!なんてポップなタイトルで始めたこのブログ。

書きたいことを書きたいように書きつつも、自分の実体験を綴ることで誰かの役に立てれば…と思い書いてきました。

 

でもブログってやっぱレスポンスないんで、続けるのが難しい!

習慣になってしまえばこっちのもんなんでしょうが、システムエラーがあったり、うまく改行が反映されてなかったりすると、ウキィィィィーーー!!!

 

ってなるわけです。

 

でもはてなブログさん、書き手からすると見やすくて書きやすい!

これは続けられそうな気がする。。。

 

これから再び気負わずゆったりと発信していこうと思います。

ADHDとストラテラ

いよいよ3月!

出会いと別れの季節がやってまいりました。

 

 

 

クラゲの世界にも出会いと別れはあるのでしょうか?クラゲをみるとなんだか心が落ち着きます。

 

 

webの仕事でたまたまADHDがキーワードにあったので、執筆してみました。

 

ADHDとは?から治療や仕事についてなど全般的な内容です。単なるキュレーションではなく、自身の診断や医療従事者としての考察を盛り込んでいるので、参考にしていただけると思います。

 

 

ADHDが徹底的にわかる|あなたの性格が実はADHDかも?

 

 

さて、ADHDの方にはおなじみストラテラ

 

 

飲み始めは25mgだったり、40mgだったり人それぞれ、ドクターそれぞれだと思います。

 

 

飲み始めて最初に感じたことは......

 

 

頭が冴える

 

 

 

浮遊感というかシャキッとした感じというかがあり、初日は寝ても起きたりしてしまいました。

 

 

 

しかし、ものすごく改善があったことが、

 

 

 

朝の目覚め

 

 

 

とにかく僕は朝が辛いというより、本当に起きれなかった。

目がシャッターで閉じているというか、目を開けようにも勝手に落ちてくるような状態。これをタバコで無理矢理こじ開けるようなことをしていた。

 

 

 

ドクターが言うにニコチンによる覚醒作用でADHDの症状がマスクされることは考えられるようだ......

 

 

学生の頃はとにかく午前中は眠くてずっと寝ていた。

 

 

中学生の頃は朝練が嫌で部活に入らなかったし、高校生になって自由になってからはほとんど午前中は学校に行ったことがない。予備校生頃も午前中は行かなくて済むスケジュールを組んだ。大学生になっても同様だ。

 

 

 

予備校生頃も頃はスケジュールを組めたが、大学ではすでに組まれていた。

しかし、幸いにも行かなくても問題なかったため、ADHDの症状は隠れたままだった。

 

 

しかし、社会人はそうはいかない。

社会人になっても、起きなきゃいけないはずの時間になって起きても、座ったまま寝ていたり、大事な会議も寝坊でポカしたりしてしまっていた。

 

 

たまたまあまりうるさくない会社だったので、有休を使うことで事なきを得たがあまりいいことではない。

 

 

そんな僕が、ストラテラを飲み始めて劇的に目覚めがよくなった。

 

 

ストラテラを飲み続けて、半年が経つ今は初期の頃のような覚醒する目覚めはない。

しかし、悪くても一般的な人のあぁ眠いなぁという目覚めの悪さはこんな感じなのかな?という目覚めで、昔のような目覚めの悪さは全くない。

 

 

その他の症状、注意欠陥や衝動性などはなんとも言えないが劇的に変わったのは目覚めである。

 

 

ADHDの薬を検討していて、目覚めの悪さが自覚症状としてあるのであれば、治療薬はストラテラを是非おすすめしたい!

 

 

 

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忘れもの

忘れものをしないように気をつけましょう!

 

小学校を経験した誰もが言われたことのある言葉だろう。

 

 

僕自身、それを言われている時代はとりわけ忘れ物が多かったわけでもなかった。

 

でも、忘れ物をしないように!と言われている時代の忘れ物の有無は本人レベルというよりも家庭レベルの問題だ。

 

 

親がしっかりしているとか過剰に子供のお世話をしてしまうような家庭であれば本人が本来忘れ物が多くても、それをマスクできてしまう。

 

 

僕自身、忘れ物が気になり始めたのは社会人になってからだ。

 

 

大学生の頃は誰よりも早く帰りテレビを見るというくだらなすぎる生活を送っていたため、あまり世の中との関わりがなかった。

 

 

学校のレポートなども今日何をやればいいのか教えてくれていたから、とりわけ困ったこともなかった。

 

 

でも社会人になり、自分で考えてスケジューリングして......となったとき、突如としてそれは現れた。

 

 

ミスの多発

 

 

学校という箱の中での生活と社会という箱の外での生活は似ているようでかなり異なる。

 

 

テレビをお友達としていた僕にとって、社会という世界は広すぎた。

 

 

慣れないせいもあるだろう。

 

 

気が散るせいもあるだろう。

 

 

でもそんなミスする!?というレベルのミスや回数が多かった。

 

 

自分としては謎なのだ。

 

決してふざけてるわけでも気を抜いているわけでもないからだ。

 

 

例としては......

 

●出張に持っていく荷物を詰め忘れる

 

●両側の棚を確認するつもりで片側忘れる

 

●目的地に持っていくものを忘れ手ぶらで出てしまう

 

●買ったものを他の店においてきてしまう

 

●店に預けたカバンを預けたまま帰ろうとする

 

●棚の下に置いたカバンをそのまま忘れて帰る

 

などなど......

 

 

挙げだしたら、キリがない!

だが、この忘れ物系はストラテラを飲み出してから、少し良くなったように思う。

 

 

薬剤師であるがゆえ、この手の薬はプラセボ効果も大切なのはわかっている。

 

 

でもわかっちゃってるから、プラセボ効果なんてものは働かない(笑)

 

 

それでも効いた!という実感は大切だ。

 

 

続けるモチベーションに繋がるから!

 

 

学生のうちからもっと社会と接し、人と触れ合い......という生活をしていたら、もっと早くに気づけたのかもしれない。

 

 

学校と家の往復と家でテレビをみて過ごすだけでは、気づきようがない。。

 

 

買い物も自由に使えるお金があったわけじゃないから、あまり行かなかったし......

 

 

社会人になり「忘れ物」という特性に出会ったのは、僕にとって大きな悩みとなった。

 

 

でも少しずつだが、改善できるのだ。

100%は無理でも一般的な人に限りなく近づくことはできる。

 

 

自分はADHDだからと言ってはいけない。

可能性は自分で広げていかなくちゃ!

 

 

 

 

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感覚の違い

多数の人間が働く組織の中に属していると、価値観の違いを認識することがある。

 

 

そして、僕自身は価値観の違いだけではなくズレというか、いわゆる一般的にはと言われる部分から大きくはみ出していることが多いことに気付く。

 

 

ADHDの人は行間を読むことが苦手で相手が何を望んでいるのかを認識するのに時間がかかると言われている。

 

僕も実際、ずっと昔から行間を読むのが苦手だし、言わなくていい一言を口走ってしまったりする。

 

日本人特有の奥ゆかしさだとか、言わなくても感じろ!という文化が僕は苦手だ。

 

 

言わなきゃわかんないだろ!言え!と思ってしまうし、自分なりの解釈で説明を初めると聞き手の期待していたことと大きなギャップが生じる(それはわかってるよ......ということまで説明してしまう)ことがある。

 

 

日本語って難しい。。

 

 

日本語スキルは一生をかけて磨いていくものなのかもしれない。

 

感覚の違いは性格の違いでもあるのだが、一般的な人との特性の違いでもあるのかもしれない。

 

 

性格が違うから適当さとか真面目さとか気になる部分とかは人それぞれ違う。

 

 

 

先日、同僚に僕は一人だけ感覚が違っておかしいと指摘された。

 

 

悪い風に言われたわけではなく、困ったなぁという感じで笑ってくれた(実際、人様に手渡すものだからよろしくはなかった)

 

 

感覚の違いや性格の違いは感じても、一般的にはこうだよねという感覚というか境界が僕にはイマイチわからない。

 

 

だから例えば何かを作るとなったら、一般的にはこうだという感覚がわからないから、バカ丁寧なものを作るか自己流のものを作るかの二択だ。

 

 

中間でバランスをみて......という選択肢がない。

 

あぁ......こういう一般的にはこうでしょう?という感覚を問われるのって自分は苦手なんだなぁと認識した。

 

 

同僚にはADHDの話はしてないが、ADHDの人は世間一般からみたら不思議ちゃんチックに映るのかもしれない。

 

 

独特の世界観がある......そういう見方をすればそれはマイナスではなくプラスの個性である。

 

 

僕の個性は僕にしかない世界観があること。世間一般と照らし合わせ最適解を出すのではなく、独自の判断で独自の創造解を出せることが強みだ。

 

 

この強みはクリエイティブな社会に活きるんじゃないかなぁとボンヤリ思った。逆にキッチリしなければいけない場にはふさわしくない。

 

 

僕の場合、施設によって薬袋のマーカーを変えたり、文字を変えたりしなければいけないのだが、こういった決められた枠の中で何かをすることが大変窮屈なのだ。

 

 

実際、先方にはこうでいいよね?と自分のいいように作り変えて報告したりしているが、これでいいよというところもあれば何でそんなことするんだ!と怒るところもある。

 

 

今の僕は大人なので、すみませんでしたとだけ謝る。

 

 

でもこのときにふと思った......

 

 

これで衝突したのが、学校という枠の中で生活しなければならなかった頃の自分なのかもしれない。

 

 

学校という決められた枠の中で生活しなければいけないことが何よりも僕には窮屈だった。

 

 

1日中テレビを見て生活することはできるのに、決められた枠の中で自分の創造ではなく強制を強いられることに異様な抵抗を感じるのだ。

 

 

過去の自分には到底こんなことわからないだろう。

 

 

でもADHDというものを認識して生活していると、ある日点と点が線になる瞬間がある。

 

 

生きることは点と点がつながることなのかもしれない。

 

 

人により認識するものは違うのかもしれないけれど、そのときわからなかったことは後からわかったりするものだ。

 

 

感覚の違いの指摘を通して、個性を認識できたことで自分の歴史が線でつながったように思う。

 

 

 

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